紅掛空色
私の好きな色です。
生まれ育った故郷、長崎五島列島の海辺。
夕方の頃に見える風景、かすかに紅がかった淡い空色に私の心は満たされる。
この時間がずっと続いたら…
改めましてこんにちは。
フルハウス株式会社代表の北川秀幸(きたがわひでゆき)です。五島列島に生まれ育ち、縁あって福岡へ。
住まう人に“心満たされる日々”を提供したいという想いで、大工として独立・起業、頼れる仲間に支えられ、現在に至ります。
「幸せを感じる」とはどういうことだろうか?
大工として、家を建てる中でずっと自問自答してきたことです。このページでは、私の大工としての答えである“心満たされる日々”について、私の半生をご紹介しながら、そのワケをお伝えしたいと思います。
家づくりに求めるものは、果たして家だけなのか?
大きな買い物をする前に、幸せと思える家づくりのために綴りましたので、ご一読いただければ幸いです。
五島列島に生まれ、育った少年・北川秀幸
思い出すのは、大家族と過ごした
故郷での満たされた時間
冒頭にもお伝えしましたが、私の出身は長崎県五島列島。
今でも、田舎はそこにあり、毎年盆に帰り、その風景に心寄せることを楽しみにしています。
5人兄弟の末っ子として生まれた私は、この自然に守られ、ノビノビと過ごしました。
朝日とともに目が覚め、「おはよう」「いってきます」「おかえり」家に帰れば家族の温もりを感じる。
休日は、バーベキュー、自然の恵みを味わう。
今思えば、私の目指す「心満たされる日々」の原点は、五島列島での生活にあるように思います。
そして、高校まで過ごした、私の実家。
この実家が、私が大工を志すきかっけになりました。
父親が建てた2軒の家
2軒目の家で気づかされたこと
私の父親は、家を2軒建てました。
1軒目は父親のお兄さんが、
2軒目は、私が11歳になった頃、親戚の大工さんが建ててくれました。
当時小学5年生。
2軒目の家は、私は好きではありませんでした。
以前の家が古くなってきたゆえの建て替えだったため、今度の家は、丈夫さ重視。生活がしにくい、家族が集まりづらい家になってしまいました。
それは、親戚の大工さんが悪いわけではありません。
今思えば、家だけではなく“暮らし”も考えた設計が必要だったのです。
大学卒業後、決意した大工への道
3軒目は、自分の手で
そんな私も、高校を卒業する頃には、自分でビジネスをしたい、有名になりたいという思いで大学へ。
実家の商売のことは気にならなくなっていました。
しかし、大学をまもなく卒業しようかという頃、実家に戻るとある気持ちが蘇りました。
「もっとワクワクした気持ちで実家に戻りたい」
大好きな実家、大好きな五島列島を自分の手で自分にとって帰りたくなる、他の人にも自慢できる場所にしたい、そんな想いが芽生えたのです。父は亡くなりましたが、自分が今度は…という想いで大工の道を志しました。
遠回りな道のり、家を建てられない大工の日々
大卒の大工、ご縁をいただいた仕事はがむしゃらに
修行時代、実は私ははじめから住宅の建築を任されたわけではありませんでした。
大工の世界では、大学を卒業してからの修行始めはかなりの遅咲き。当初はよく「あそこ、大卒の大工が入ったらしいぞ」と変な意味で有名でした。また、兄弟子が年下ということも珍しくなく、年下にパシリのような扱いを受けるなど、苦労もしました。
はじめて修行についた大工の師匠が主に手掛けていたのが、店舗の工事でした。コンビニやレストランなど、様々な店舗の工事をとにかくがむしゃらに。住宅と違い、正確さとともにスピードも要求される工事が多く、かなり鍛えられました。
そんな時、ある工事で私は運命の出会いを果たします。
自然素材との出会い
居心地の良い空間には“木”の存在がある
「お客様が、居心地の良い空間をつくりたい」
飲食店のオーナーからのご要望でした。
居心地の良い空間…思い出したのは、実家の風景・五島列島の風景でした。考えた末出した私の答えは、自然素材、特に“木”を使うこと。
当時珍しかった木材のあしらいに、オーナーもご満足いただきました。私もそのお店には通っていますが、我ながら居心地のよい空間ができたのではないかと思っています。
大工として、独立。素材を極める。
木工事を極める、しかし…
それから、木工事を極めるべく様々な工事をしました。
自分でやりたい工事をするため、独立し、仲間も加わりました。
「フルハウス」
という名前は、家のことなら北川さんに任せれば“フル”でやってくれる。
すべて入った“フル”スペックの家を建てる、という想いでつけました。
建築が楽しい
いろんな建物を建ててみたい
当時の私は、建物に夢中でした。
ただ…あまりに夢中過ぎて、ある後悔をすることになったのです。
大手ハウスメーカーの下請けとし住宅を建築。
徹夜で仕上げた、一軒の家
ありがたいことに、仕事が仕事を呼び、忙しくなりました。
特に多かったのが、大手ハウスメーカーの木造住宅建築の依頼。
しかし、ハウスメーカーの工事は、マニュアルと工期の短縮が至上命題。
「図面の通りつくってくれればいい」
「とにかく早くしてくれ」
(もっとこうすれば、長く快適に住める家になるのに…)
そんな想いをグッと飲み込んで家を建てていたある時、
私が元請けとして次なるチャレンジをすること決意する、
決定的な出来事があったのです。
後悔…忘れられないお引渡し
お客様からの「ありがとう」の言葉が、苦しかった。
「明日までに仕上げてくれ」
「えっ、今からですか?」
それは、ハウスメーカーの現場監督からの電話でした。電話がかかってきたのは、夕方。どうやら、明日は施主の完了検査にも関わらず、工事が終了していないという現場だったようです。
「この時間からだと、夜なべしても間に合いませんよ」
「とにかく、仕上げて欲しい」
当時は受け入れるしかありませんでした。
仲間とともに夜なべしてなんとか間に合わせました。
その仕上がりは、安全面で危険があるようなものではありませんでしたが、私の目指す「フルハウス」とはほど遠いものでした。
そして、徹夜のまま迎えたお引渡しの儀式。
お施主様は笑顔で「大工さん、ありがとうございます」と私に言葉をくだしました。
(もっといい家はできたはずなのに…)
お礼の言葉をいただいてこれほど複雑な気持ちになったことはありません。
その時私は、
自分の信念を貫く、元請けとして納得した家を建て、お引渡しをするんだ!
という決意をしたのです。
日本を代表するパッチワークキルトの作家、山口怜子さんとの出会い
この“人”のための家を建てよう
その想いを確固たるモノにしてくれた恩人がいます。
それは、小国製材所(現在は、フルハウスが運営)から紹介を受け出会った、世界的なパッチワークキルトの作家、山口怜子さんでした。
山口さんは、その活動の一方で地熱を利用した食品の開発を手掛けており、その拠点である「地熱たべもの研究所」の建築をさせていただくことになったのです。
その施設は、自然の恵みを活かした木をふんだんに使った施設であり、地熱のチカラを活かしたつくりになっています。
「自然と一緒に暮らす生き方がきっと、人の身体も心も満たす、豊かな人生をつくると思うんです」
山口さんのお考えに私はあることを思い出しました。
…五島列島の実家の風景です。
自然に囲まれながら、自然と互いに会話するように暮らしていた生活が、
私も、家族も心満たされて暮らしていた、そんな記憶。
家は、工業製品ではない。
人が暮らす自然の中の一つとして、自然と共存するような家づくりがしたい。
家を建てるための大工ではなく、この人を幸せにするために家を建てよう。
この時、初めて「家を建てるとはどういうことか」私の中での答えが見えた気がしました。そんな想いで建てた「地熱たべもの研究所」は、私の大工人生の中でも、最高傑作の一つです。
多くご縁に恵まれて
フルハウスの目指す道
フルハウスの向かうべき道が決まりました。
下請けの大工ではなく、元請けの大工として。
2020年、
大工の坂井、経理の須山と共に、フルハウスを再スタートさせました。
すると、そこから様々なご縁に恵まれるようになりました。
2021年、
よか良家プロジェクトという、工務店6社が集まって運営する合同展示場への参画。
時近くして、大工の坂口と、広報を担当する妻も参加。
協力業者会には、20人近い仲間が“チームフルハウス”として参加してくれました。
2022年、
よか良家プロジェクトが始動。
さらなる活動の幅を広げるため、製材所の運営もはじまりました。
お客様のハートをフルにする工務店として
あなたにとって、幸せを感じられる時間は?
私が、今、お客様に一番聞きたい質問です。
これまで、多くの建築を手掛けてきて思うことは、建築としての「正解」はおそらくある、でもそれは、必ずしもお客様にとっての正解とは限らない、ということです。
つまり、良い家とは、そのお客様お一人おひとりに合わせて建てることが大切だということです。
フルハウスは小さい会社です。
年間建てられる棟数は、多くても5棟。
ただ、その1棟1棟にかける想いはどこにも負けない。
ご縁のあったお客様の“心満たされる日々”を実現する専属パートナーとして、
これまで培った技術をそのために使いたいと思います。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
ちなみに、私の幸せな時間は、紅掛空色の地元の風景を眺めながら熱いコーヒーを飲む時間です。
改めまして、あなたにとっての幸せな時間はどんな時間ですか?
フルハウスの家づくりにご興味お持ちいただけました暁には、ぜひ、私にお聞かせください。
フルハウス株式会社 代表取締役 北川 秀幸